はじめに
はじめに、この記事は早稲田大学で学部を変更する転部を志す学生、早稲田大学においてGLFPを目指す学生、UCバークレーへの留学を目指す学生と、将来の自分のための記事です。
<目次>
- 当記事のねらい
- 当記事を書く理由
- 今後について
- 自己紹介
当記事のねらい:
上記の対象学生の情報収集の助けになること。現在、過去の自分が考えていたことを記録すること。
当記事を書く理由:
私自身が二年前に転部を志し、一年前に成功させたとき、あまりの情報の少なさに身動きがとれず、不安の中を進むことになった。他の転部を目指す学生が同様の経験をしなくて済むように。また、GLFPなどについても情報が少なく自分がどの位置にいるのか理解できなかったため。将来、一体自分はどんなことを大学時代に頑張り、何を学んだのか振り返ることを可能にするため。
今後について:
転部までの流れ、GLFP選抜までの流れ、バークレーでの生活、帰国後の就活 を当ブログでは記録しようと考えている。
私は自分の目標にどんな人間が合格するのか気になった。例えば、試験が簡単だった。という感想があってもどのようなバックグラウンドを持つ人間にとって簡単だったのか当時の私は知りたかった。この需要を満たすために以下に私の自己紹介、生い立ちを記載する。
自己紹介:
早稲田大学国際教養学部3年(4/2019) 入学時は人間科学部 人間環境科学科だったが転部試験に合格しSILSへ SILS転部後は留学先としてGLFPでUCバークレーに行くことが決定した。
〜生い立ち〜
小学校、中学校: 愛知県公立校
高校: 米国公立校
帰国後: 駿台国際
小中学校時代: 英語が最も苦手な科目(英文法)(偏差値55くらい)で数学が得意だった。偏差値は60あたりをうろうろしていた平凡な生徒。早稲田に行くことなど1回も考えたことはなかった。
高校時代: 父の仕事で米国ミシガン州に引越し、現地校に入学する。英語は幼少の頃もアメリカにいたため聞き取り、話すことはできたが中学時代に陰キャだったため積極的に友達を作ろうとせず、友達が少ないままなぁなぁと過ごし、卒業する。結果として英語力は伸びず、学力は低下する。当時は、ミシガンにいる他の日本人学生と比較して日本語ができたため自分が優秀だと錯覚し勉強しなかった。帰国生として最悪な道を辿る。
駿台時代: 米国の高校は6月に卒業であるため、大学入試までの3-6ヶ月の間受験勉強をするために帰国生しかいない駿台国際へ入学。帰国子女受験は小論文が中心であるため経済、社会学、法、(リベラル方面)を勉強し、読書に注力する。小中高と全く勉強してこなかったが駿台で真に優秀な学生に出会い、感化され勉強する。しかし、ブランクは数ヶ月の勉強では埋まらずサボっていた英語が足を引っ張り一橋、早稲田野上位学部に落ち、人科に進学する。
人科時代: 陰キャなのでそんなにたくさん友達もいらず、GPAをとることに注力。実は最初から最後まで政治経済学部が第1志望であった。しょうもないミスで政治経済学部に出願できず、気まぐれで受けた国際教養学部に転部する。
国教時代: 1からのスタートであり(2年生だが)駿台時代のライバルの隣を歩きたく留学でトップランクの大学を狙うことに、GLFP合格。
肝心の大学時代を少なめに記述したが当ブログの本筋であるため次回以降の記事で丁寧に再度記載する。
また、コメントやTwitterなどから学生に需要がありそうなものは記事にする。